一回折れた人

日々の出来事をつらつらと

猫との思い出

中学生の反抗期に奴はやってきた

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もう既に成猫になってしまった写真ですが、最初は手の平に乗る程、とても小さかったです。 噛みついてくるわ、引っ掻いてくるわで気性の荒い奴でしたが、反抗期真っ盛りの僕でしたが、家に居る時間が増えました。 父と兄はよく襲われていましたが、僕はたまにしか襲われませんでした、多分僕が襲われて怪我をしてもそのまま抱っこしたりするので諦めたのでしょうか。

高校生の頃になるともう居るのが当たり前で一緒に暮らしているという感覚でした。 家は猫を飼うのが初めてだったので、トイレの場所をあんまり計画的に設置しなかったので、食卓の真横でし始めるとくっせーと笑いながらブツを人間用のトイレに運んで流していました。 猫ってブツをする時凄く真剣な面持ちでし始めるのでそれが愛らしくもあり、謎の凛々しさもありました。 また、ブツをする前になぜかドタバタ暴れ始めるのでそろそろ来るなというのが分かりました。

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大学生になると一緒にいる時間が増えました。 嫌なことがあったら話かけて見たり、一緒に昼寝をしたり相変わらず抱っこはあまりさせてくれませんが、僕の部屋の椅子を占拠するのでちょっとずらして座ったりしようとするとガチギレしてきたり段々威厳が出てきました。 さすがに人間の歳だと30~40近いおっさん猫なので威厳も出てくるのかもしれません。 元々肝臓が強くない猫でそれ用のキャットフードを食べていましたが、焼いたサンマとかも大好きでした。(あんまりあげてはいけないのは分かっているんですが、あまりにも欲しがるので塩を振ってない焼き魚を献上していました)

僕が大学生の頃、東北大震災が起きて猫とか犬は地震の前に察知するという噂を聞いていました。 確か地震のあった日僕も家に居た気がしますが、全く察知していなかったような気がします。 f:id:hpptms:20170717025546j:plain

社会人になると一気に接する機会が減ります。 家は両親が共働きだったので、家に居る時間が僕が一番多かったので急に人が居ない時間が増えて寂しい思いをさせたかもしれません。 ころ頃僕は社会人として挫折します、新卒で入ったSireを退職します。 まぁでも何とかなるだろくらいしか考えてませんでしたが。

その後、僕の方は少しフラフラした後再就職します。 ちょっと職場は遠いけど、念願のプログラムが出来るような職場に入りました。 この頃はプログラムで息詰まる事はあっても、絶好調でした。 常に新しいことを覚える機会があって、激務でも無かったので自分で家に帰って好きな技術を調べて見たり、職場でも調べてみたりと楽しかったです。

家に帰ればプログラムする時もあれば、結構猫と一緒に居ました。 ご飯を食べ終わったら部屋に連れていって一緒に寝たり、TVを見たりしていました。 この頃になると人間の年齢ではおじいちゃんなのであんまり暴れることもなくすんなり抱っこさせてくれる事が増えました。 このままずっと僕が死ぬまで一緒に居て、最近は寝ている事が多いけれど撫でさせてくれたり、たまに喧嘩したりが永遠に続くと思っていました。 でもそんな日々は永遠には続かず彼のタイムリミットは着実に進んでいました。 f:id:hpptms:20170717031654j:plain

元々肝臓が悪かったので、自力で水を飲んでも上手く消化出来なくなっていると獣医さんに宣告されました。 延命方法として点滴で水分を補給する方法があると言われました。 ですが、あくまでも延命で点滴を続けても半年から1年しか延命は出来ないと言われました。

この日から家族で彼に2日に一度は点滴を行うようになります。 点滴の方法は足背中辺りに薄く注射針を刺して皮膚から直接水分を摂取させます。 最初は彼も家族も物凄く抵抗がありました。 ですが、次第に彼の方が抵抗する元気が無くなっていくのが分かりました。 今まで噛んだり引っ掻いたりしているのが嘘みたいに日に日に元気が無くなっていくのが分かるのです。

最終的にどうなったか、というと点滴で摂取した水分でさえ体が受けつけず吐いてしまう様になります。 みずから進んで水を飲んでもすぐ吐いてしまうし、もう分れが近いのが分かりました。

もうダメかもしれないという日に僕は会社を休んでずっと彼の傍にいました。 猫が亡くなる時はひっそり死のうとするというのは本当で歩くのもやっとのはずなのに僕から離れて行こうとします。 僕は彼が離れて行くと、本当に遠くに行ってしまいそうで意地でもついていきました。 僕の身勝手ですが、本当は一人になりたかったんだろうけど、どうしてもそれは許せなかったからです。 結局その日は何とか持ちこたえてくれました。

さすがに連続で会社を休む訳にも行かず次の日は出社しました。 その日は父が家に居ましたが、買い物に出てる間に息を引き取ったそうです。 僕は父を責めましたが、もしかすると一人になる時をずっと待っていたのかもしれません。 こんな出来事が一年半ほど前にありました。

今更なんでこんな事を書こうと思ったか

僕が精神的に不安定になったのも、今思い返すとこの出来事があった少し後からです。 知らず知らずの間に彼と接することでストレス解消になっていたのかもしれません。 彼が死んだ直後の僕の考えは「どうせ死ぬんだから好きなことしていこう」となり、特に問題無かった職場を退職してスタートアップに入社することになります。(後にポッキリ折られてすぐ退職しますが) まだ若干その考え方は残っていますが、人間の場合は好きなことだけじゃ生きていけないよなと当たり前の事を思っています。 生きがいが無いと思っていた僕ですが、彼は僕に生きがいを与えてくれていました。 長いペットロスですが、乗り越えないとこのまま生きがいの無い生涯を迎えて終わってしまいそうです。